御祭神 ― 太郎坊宮の神様 ―
正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神―マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノオオカミ―
太郎坊宮にお祀りする神様は、伊勢神宮の天照大神の第一皇子神(人間でいう長男)にあたります。
神様のお名前には「まさに勝った、私は勝った。朝日が昇るように鮮やかに、速やかに勝利を得た」という、勝利を象徴する意味が込められています。
そのお名前の通り、勝利と幸福を授ける神様として信仰されています。
古くは聖徳太子をはじめ、伝教大師最澄や源義経、室町幕府近江守護職佐々木六角氏などの尊崇を集めたといわれます。
人々は「神験即現(しんげんそくげん、神様のご利益がすぐに現れる)の大神」とたたえて敬いました。
現在ではプロスポーツ選手や、第一線で活躍する企業経営者、政治家、職人、ビジネスマンなど、業種を越えた多くの方々がご利益を仰がれます。
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御由緒 ― 太郎坊宮の歴史 ―
大昔の日本人は、太郎坊宮の鎮座する赤神山(あかがみやま、太郎坊山とも)を神宿る霊山と敬い、崇拝しました。
当神社のご神徳は広く知られ、聖徳太子は国家の安泰と万人の幸福を祈願しました。
伝教大師最澄も当神社にお参りし、ご神徳に感銘を受けて50余りの社殿・社坊を建立されたといいます。
また、源義経も当神社に参詣して源氏興隆を祈念したと伝わり、その折に座られた「義経公腰掛岩」が現在に伝わります。
このように人々の信仰が深くなるにつれ、この霊山で修業をする修験者が多く現れます。
そして、神道を基に天台山岳仏教と修験道が相交わる独特の信仰形態が確立されました。
太郎坊天狗 ― 神社を守護する天狗 ―
太郎坊宮は、正式名称を阿賀神社(あがじんじゃ)といいます。
この「太郎坊」とは、阿賀神社を守護する天狗の名前であると伝わります。
太郎坊天狗は、伝教大師が赤神山に社殿を建てようとした時には、山奥から現れて手助けしたといいます。
江戸時代には「太郎坊宮の夫婦岩は天狗の住まいなので、人間は行ってはいけない」と書いてある書物までありました。
「太郎」という名前は、最も優れたものや最も秀でたものに付けられる名前ですので、太郎坊天狗は人々から畏敬された存在であったといえます。
そのため、太郎坊天狗が守る神社、太郎坊の宮となり、やがて太郎坊宮が定着したと思われます。
そうした経緯から、当神社は「阿賀神社」と「太郎坊宮」の2つの名称を有することになりました。
人々は「阿賀大明神(あがだいみょうじん)」「太郎坊大権現(たろうぼうだいごんげん)」との尊称を奉り、ご加護を願ったといいます。
❖神社の由緒書(パンフレット)や広報誌がダウンロードできます。
↓太郎坊宮由緒書(パンフレット)
↓太郎坊・阿賀神社報『赤神山』(令和6年6月30日発行)
↓太郎坊・阿賀神社報『赤神山』(令和3年12月31日発行)
↓太郎坊・阿賀神社報『赤神山』(令和3年6月1日発行)
↓太郎坊・阿賀神社報『赤神山』(令和2年12月31日発行)
↓太郎坊・阿賀神社報『赤神山』(令和2年6月30日発行)
↓太郎坊・阿賀神社報『赤神山』(令和元年12月31日発行)
↓太郎坊・阿賀神社報『赤神山』(令和元年6月30日発行)